原発さえなければ

第5回トークトークに参加して

故郷に帰りたいという気持ちがいっぱい。子どもの健康を考えて避難している。息子が小学校にあがるとき、大きな決断をしなければならないと語る福田美穂さん
故郷に帰りたいという気持ちがいっぱい。子どもの健康を考えて避難している。息子が小学校にあがるとき、大きな決断をしなければならないと語る福田美穂さん
 東北大震災による福島原発事故で関東に避難されている方々の間で「福島避難母子の会in関東」というネットワークができています。その活動拠点が品川区戸越のマンションにあるコミュニティスペース「てとて」です。
6月15日(金)19時から第5回のトークイベントが行われました。夜の開催は初めてということでした。

トークの主役は福田美穂さん、シングルマザーで南相馬の出身、現在4歳の息子さんと千葉県松戸に避難されています。
生まれてからほとんどを南相馬で生活をしてきたという彼女はスポーツジムのインストラクターを職業にされていたというだけあって、活動的な方のようでした。

3.11震災当日、大きな揺れで家の中の家具は倒れ食器が散乱して、外に出なければと思ったが、立っていることもできず這って畑のほうに逃げた。揺れが少しおさまり息子を保育園に迎えに行った。じいちゃんが「海岸線の道路は渋滞するから山のほうを行ったほうがいい」というのでその言葉を守った。津波に合わずにすんだのはじいちゃんのおかげ。じいちゃんが言わなかったら、早く迎えに行きたい一心で時間がかかる山道ではなく海岸線をいったと思う。そしたら今ここにはいなかったと思う。

 退院間もない心臓病を抱えたばあちゃんがいるので、避難所ではとても生活できないと思い避難所には行かなかった。
1週間ぐらいで自宅に戻れると思って親族20人で一緒に友人を頼って伊達市へ避難したが、原発の爆発ですぐには帰れないと判断した。友人宅の迷惑も考え、親族がばらばらに避難することになった。

 子どもを抱えて放射能が心配だったので親とは別に、大学に通う弟と同じという理由で千葉県松戸に避難。ツイッターで家具など融通してくださいとつぶやいたら150人ぐらいのフォロアーができた。赤十字の家電が来る前に家電も調達できた。

赤十字はたくさんのメーカーの家電を配ったと思うが、福田さんも進行役を務めた避難者のかん澤沙織さんも「福島原発を造った企業」の「東芝か!」とため息が出たという。

好きな家電を買うことは誰にでできるはずなのに、原発で家を追われた人たちには選ぶことも許されない。いやでも悔しくてもそれを受け入れなければならないのです。

休憩をはさんで『Little Handsプロジェクト 南相馬の若きアーティストたちの挑戦~絵は心の鏡なんです~』を見ました。

段ボールを回収してお金に換えて子どもたちに紙とクレヨンを送るLittle Handsプロジェクト。松戸に来る前に福田さんも参加。
ビデオの中で「原発さえなければ」と繰り返しつぶやき涙を流す福田さんのシーンが、さよなら原発4.20アクションで制服向上委員会会長の橋本美香さんが歌う原発さえなければの歌声に重なった。

さよなら原発4.20アクションで披露された橋本さんの曲の歌詞です。

私が生まれた この街に帰れない
私が育った  この家にもう戻れない

原発さえなければ   事故は起きなかったのに
原発事故さえなければ 昨日と同じでいられたのに

確かに地震や 津波は すごかった
誰もが初めて 経験  したことで
だけど原発事故は自然災害ではないから
安全と言い続けた人たちの人災だから

原発さえなければ   不安な   日々は生まれなかった
原発事故さえなければ 悲しみや  怒りは生まれなかった

誰にも止められない 原発事故
どこまでも拡がる  汚染の被害
あらゆる真実を   隠す関係者
嘘だけを発表する  無責任な政治家たち

頭を上げて 前を見て 心をひとつにして 頑張ろう
君はひとりじゃない 未来は永遠に続くから
そんな言葉がむなしく響く
別にあなたに言われなくても

原発さえなければ   何でも  信じること出来た
原発事故さえなければ こんなに 悲しい事は起きなかった

原発さえなければ