かつてこの国が侵略戦争を繰り返し、植民地支配を行って帝国主義の列強の一国になっていたことを支えていたものは、何か。そこには、少なくとも3つの条件が必要だった。それは『軍隊』『愛国心教育』『宗教』。軍隊(天皇の皇軍)をつくり、国のために命を捨てることができる人をつくる愛国心教育(教育勅語)を施し、さらに、軍隊で命を捨てた人を神として祀る国の神社、軍の神社をつくった(国営靖国)、という構図。戦死者は英霊とされ、そして英霊に続けという教えが新しい戦死者を生み出すというサイクルが、現実に、その時代を席巻していたという事実…。このことから改正教育基本法を、9条に集約される憲法改正の動きを考えると、安倍政権下に連なる「教育基本法を変えて、戦争ができる国にしていこう」とする人々の意図が、次第に明らかとなってくる。
ここまで来てしまった流れにどう抗し、立ち向かっていくのか。主権者市民を明記した現行憲法に照らし、一人一人が主権者として立つことであり、声を上げること。政治を変え、差し戻していくことだということが、改めて確信できたお話だった。
私は、いまたくさんの方にお会いして、地域の課題や生活の課題、地方政治が果たすべき役割などについてお聞きしている。先日も、年配の自ら戦中派といわれるある男性が「特攻に志願して命を落とすことがお国のため、そういう教育を受けた。その教育は間違っていた、そういえる時代がやっと来たと思った矢先にまたぞろ、防衛省へと変えて、逆戻りしようとしている。いい加減にしろと言いたい。今の政治にはうんざりしている」と言われた。「戦争体験を持つ私たちが発言していくのがいいことはわかっている、でももう体力も気力もない。若い人たちは平和に無関心で、傍観しているだけのようで先々が気がかり」と嘆かれたのは80代の女性だ。
私の実父、義父とも戦争体験を持つが、20年ほど前までは、東京のわが家を基点に行き来があったことから、「飲むと繰り返される戦地での話」があったことを思い出した。私たちに伝えるというのでもなく、二人で振り返る過去であり、二人にしかわからない話であったように思う。まだ間に合う、子どもと一緒に聞いておこう、これまで、地域で聞き取ることができた一人一人の実感をきちんとつないでいこう。教育基本法は改悪されたが、現行憲法がある。市民主権を行使するときは今なのだから、地域から教育への市民参加をひろげる一助となるよう動きをつくっていこう、子どもたちに手渡すこの国を、「民主主義の国」「戦争をしない国」とするために、NOと言える市民力を発揮していこうと、深く心に刻んだ時間となった。
▼品川からは、私、井上やえ子(左)と政策委員長の市川和子(右)が参加