放射能汚染と向き合う時代になった

熊取6人衆の一人、今中哲二さんの講演会

3月12日からの放射能漏れの日々刻々と変わる当時の様子は本当に深刻なものでした。東電や行政のもしも!の危機感のなさに驚くばかりです。
3月12日からの放射能漏れの日々刻々と変わる当時の様子は本当に深刻なものでした。東電や行政のもしも!の危機感のなさに驚くばかりです。
3月31日「終焉に向かう原子力」実行委員会が主催する今中哲二さんの講演会が大田区蒲田の消費者活センターでありました。

福島原発事故は放射能汚染がない社会と汚染の中で生きなければならない社会に時代を引き裂いた。今中さんは福島の事故を経験して、「チェルノブイリの事故は他人事だった」と気づかされたといいます。

起こるはずのない原子力発電所の事故が2011年3月11日に起きました。2時46分東北地方太平洋沖地震が起きたとき、福島第一原子力発電所の1~3号炉は運転中で、定期検査のために4~6号炉は停止中。地震発生で1~3号炉は自動停止しましたが、送電線の倒壊で外部電源を喪失。直ちに非常用のディーゼル発動機(1~5号炉各2台、6号炉3台)が起動しましたが、約40分後に津波が襲来し、6号機の1台を除き非常用発電機がすべて運転停止しました。

ここで、福島第一原発1~5号炉で、原子炉安全設計指針において“想定する必要がない”とされた長時間の全交流電源喪失が発生した。

原子炉内部の状況はいまだ目視で確認することができない状況で、専門家が4号炉の状態が一番危惧されているというお話で、最近も福島で震度5の地震が起きましたが不安になります。とともに、今中さんから聞いた想定する必要がないと法律で定めているという事実には驚愕です。
安全指針を白紙撤回して安全基準をつくるべきと今中さんは指摘されています。

このような指針で安全神話が作り出されていたと思うと空恐ろしい気がします。このことに警笛を鳴らしていた科学者の声は見向きもされなかった原子力村の人々の権力。しかし今からでも遅くはありません。現政権は大飯原発3、4号機の再稼働のためだけの「インスタント安全基準」に向けて躍起です。権力とは無縁の市民が原子力の危険に気づき、命を守りたいという声を上げていきましょう。(井上八重子)

※発電用軽水型原子炉施設に関する安全設計審査指針について
(昭和52年6月14日原子力委員会)                          
指針9.電源喪失に対する設計上の考慮
長期間にわたる電源喪失は、送電系統の復旧または非常用ディーゼル発電機の修復が期待できるので考慮する必要はない。

※発電用軽水型原子炉施設に関する安全設計審査指針について
原子力安全委員会決定平成2年8月30日
原子炉施設は、短時間の全交流動力電源喪失に対して、原子炉を安全に停止、かつ、停止後の冷却を確保できる設計であること。