米倉斉加年さんが朗読する憲法前文が静かに響いた

もう少し若い時の米倉さんのイメージしか中あたけど学童疎開から70年。米倉斉加年さんを講師にお招きし「学童疎開資料センター開設1周年記念講演会」が、品川区大井にある品川区立歴史館講堂において、83日の日曜日に行われました。 

1944(昭和19年)630日に「学童疎開促進要綱」が時の政府により閣議決定されました。そして84日、品川区・荏原区の国民学校の子どもたち3年生から6年生、およそ1万5千人が東京多摩と静岡に分けられ、学童疎開が行われています。 

米倉斉加年さんは1934年(昭和9年)福岡で生まれ、4年生で疎開を経験されています。歴史館に集まった方たちは、学童疎開当事者であった方が多く、みなさん80歳前後になられます。同資料センター代表の小林奎介さんは82歳、米倉さんは80歳、開口一番「同級会のようだ」と米倉さんは仰っていました。同氏は同級会のような固まった集まりは、一方で排除する人をつくっているので、普段であれば絶対に出ない。でもこの同級会は別ですねと、笑っていました。

米倉さんの生い立ちとともに語られた疎開や戦災孤児の「戦争時の子ども」は、政治的な戦争とは? ということではなく、親も失い住むところも食べるものもない、そんなときに「人が生きていく」という状況を実感を持って語られた根本のお話でした。

「あの戦場に、また、巻き込まれるかもしれない」空気感…に対峙し、「二度とあってはならない学童疎開」の、あの時代を生き抜いた子どもたちだった「おじいちゃん」「おばあちゃん」が今、次世代のために「学童資料センター」を開設し、調査・研究を進めていることに深い感銘を受け、かつ語り継ぐことの大切さを知りました。

当日は、NHKのほか2社ほどの取材が入っているようでした。また同日掲示された学童疎開のパネルは、8月14日~17日まで、品川区立ギャラリー(イトーヨーカ堂8階:JR大井町駅至近)で開催される≪しながわ平和のための戦争展≫でも見ることができます。たくさんの方、一人でも多くの方にご来場いただき、戦争を知らない世代がしっかりと戦争を見つめる機会としていただきたいと切に思います。

二度とあの戦争を繰り返してはならないと決意し、国民の努力で守り通してきた国民主権の憲法「前文」を米倉さんは最後に、静かに朗読してくださいました。(井上八重子)