それから2期8年、国政政党の議員が大半を占める品川区議会の中で、旧態依然とした議会を市民に開かれた討議性民主主義の体現の場へと変えたいと「議会改革」に取り組んできました。市民感覚で「議員特権の廃止」を訴え、「議員の費用弁償の減額」「議員互助会への補助金の廃止」を実現しました。慣例や申し合わせに縛られ、大半の議員が未だに議員特権を良しとする議会の中にあって、市民の感覚で判断をする生活者ネットワークの議員の役割はとても大きいと自認、実感しています。
生活者ネットワーが掲げたスローガン「生活転換 子育て・介護は社会のしごと」は、子育ても介護も社会で支え合おうという理念がようやく共有されつつあります。しかし、実際にはまだまだ多くの課題をたくさんの当事者が抱えていますし、政治が思う以上に好転したわけではありません。
働き方を変えて、男女が共に子育て・介護を担える社会が求められています。私の娘は育児休業中の母親ですが、復職できるかどうか不安な日々を過ごしながら、子どもと親がともに愛情を育み、成長できる大切な時間を保育園探しに費やさなければならない状況にあります。女性も男性も社会参加し、社会の役に立ちたいし、自己実現もしたいと望んでいます。そうした時に、出産が人生のリスクになってはなりません。在宅でも、保育所でも子育て支援を選択できる多様な支援環境を整えることが必要ですし、子育て世代が子どもと向き合う十分な時間を確保できるワークシェアリングの具体化を法制化し、企業にも求めていきたいと思います。
私はといえば、50代半ばに差し掛かり親の介護が始まっています。遠距離の週末介護をしていますが、日常的に親の世話ができるわけではなく気がかりは拭えません。東日本大震災ではひとり暮らしの高齢者や高齢者の方だけで暮らされている世帯で自力では避難することができずにいた方も多くおられ、遠く離れて身内の心配をしたという方も大勢いらっしゃったのだと思います。住み慣れたところで安心して暮らし続けるために、地域の市民同士の支援ネットワークづくりと、制度的には保健・福祉・医療の連携で24時間訪問型福祉の充実を推進したいと切に願っています。
私は、当初から環境福祉優先のまちづくりの政策提案を一貫して続けてきました。もちろん、生活者ネットワークは核≒原子力の問題性を一貫して訴え、原発の危険性を指摘し、原発建設予定地の人々と連携し反原発の活動を行ってきました。世界に類を見ない地震多発国である日本で、54基もの原発をつくり、電力も発電施設もあまりにあまっている日本で、さらなる国の新設計画など、もはや誰も信じません。今回の事故で原発はいったん暴走したら人間のコントロールが及ばないことも明らかになりました。私は福島や新潟でつくられた電力をおしみなく消費する都市生活を見直し、次世代の子どもたちへ胸を張って手渡せる安全で安心のまち、品川にしたい、と切に願います。脱原発・持続可能な地域分散型自然自然エネルギーへの転換を、しっかり粘り強く訴え続けます。
今、この地球に同時にたくさんの生命体が存在していることこそが宇宙の摂理ですね。首都圏であるからこそ環境自治体を目指したいですし、お年寄りも成人も子ども、多世代が当事者として意見を出し合い、共にまちづくりに参画できるしくみが私はほしいと思います。品川区は特に、区民を置き去りにしたトップダウンの区政運営が長い間行われてきました。首長である区長提案が水面下で議会の大会派に事前に知らされ、市民に見えないところで調整が行われているからであり、混乱なくという暗黙の決め事で、直接市民生活にかかわる議決事項が、決められてしまっているからです。
私は、計画段階からの市民参画の手法を具体的に盛り込んだ、品川区の憲法「自治基本条例」を、市民参加で品川区につくる仕事を何としても実現したいのです。
大勢の市民の皆さんと、NGOやNPOの皆さんと今後も関わりながら「大事なことを市民が決められるまち・品川」「参加していることが実感できる品川のまち」に変えていくために、私、井上八重子は3期目に挑戦します。
いま、選挙などしているときかという見方もありますが、未曾有の大震災を経験したいまだからこそ、市民が身近な地方政治の場に登場することの重要性は強まっています。参加し、協働し、自治する市民力が問われているのだと、私は思います。誰かにお任せするのではない、市民の切実な困難や暮らし発の意見が反映される、そんな素敵なまち・品川づくりのために、市民の議席がどうしても必要です。これから1週間、当事者市民とともにつくった生活者ネットワークの政策、私、井上八重子の政策を、元気に訴えてまいります。